存在をきくということ

インタープリテーション

 

このことについて今ブログに何を書こうとしているのか、
自分でもはっきりわからなくて、万人に伝わる気もしないのですが、
とりあえず足跡を残すつもりで少しだけ記しておこうかなと思います。

 

「伝える」ということを仕事にしているので、
ふだんは能動的に話すこと・表現することを求められるのですが、
実際は、人と双方向に対等にかかわる仕事であることから、
ここ数年、私の関心は専ら「きく」ということに向いています。

 

たとえば、同じ機能のカメラを使っても、人によって異なる写真になるのは、
そもそも対象をどうみているかが、撮影者によって異なるから。
目の前の人やモノをどうみているか(きいているか)、
その感受性とかかわり方によって、アウトプットが変わってくる。
(機能を使いこなせない、というスキルへの感性の違いもあるだろうけど、それはまた別の機会に考える。)

 

わたしは、目の前の人をちゃんとみているのか・・・?

 

そんな不安が私の中で日に日に大きくなっていて、
それは、私が今までやってきたことを、今までどおりにすることを、
困難にしていきました。
うーむ、なんとかせねば・・・と悶々とする日々。

 

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もうずいぶん前のことのようにも、つい最近のことのようにも思えますが、
この7月に、西村佳哲さんファシリテートの「インタビューのワークショップ」に

参加しました。5泊6日。朝から晩まで、きくことを介した人との関わりをみつめていく時間。

今となっては、おいしいご飯を食べて、
みんなとくだらないことで笑って過ごした時間にあったかい気持ちになる、
嬉しくて懐かしい記憶なのだけれど、
実際は、山アリ谷アリ葛藤の多い6日間。笑いどころか、大泣きしてたり…
格好わるい自分をさらけ出してきたような時間でした。
でも、楽しかったなー。

存在感、というエネルギーに満ちあふれた場でした。

 

NEC_2201

 

 

 

 

 

 

↑ WS中いつも楽しみにしていたスペシャルおいしい朝ごはん!

 

人をきくこと、かかわること。
その人にまつわる情報や事柄に焦点を当てるのではなく「人そのもの」存在をきく、というきき方。
そんなことを、頭でなく肚に落ちるまで、延々取り組みました。

 

6日間をみんなと過ごして、みんなをきいて、私をきかれるという時間を共有して、
「存在をきく」って、言うほど簡単ではないけれど、
互いのエネルギーを交えるような、なんて素晴らしい関わりなんだろうと驚きの連続。
そんな時間を過ごして、たとえ怖くっても、私はやっぱり人にかかわっていたいと確信したし、
かかわらずにはいられないのなら、
相手も、自分も、正直に自由にありあえるかかわりをしていきたいなと、思えるようになった。そして。
きく、という関わりは、相手のためだけでも、自分のためだけでもない、
それはたぶん、
他者どうしである2人(以上の人々)でないとみることの出来ない世界に向けた「共同作業」。
私一人だけががんばることではなく、
共同作業なんだ、頼り合っていいんだと実感を伴って信じられるようになったのは、
楽になったというか、ワクワクするというか。「きく」って、奥深い。
人ってすごいなって、改めて思う。
一人ひとり違う。
一人ひとりの存在という未知の自然に出会い続けられたら、きっとしあわせだなーと心底思う。