【本】恋をして生きる
「なぜ、私たちは恋をして生きるのか –出会いと恋愛の近代日本精神史−」 宮野真生子著 (装幀:南琢也)
一般書ですが、至極真面目な哲学書です。哲学の読み物に不慣れな私は何度も迷路に迷い込みそうになりつつも、とても興味深く読了。
それにしても、この伸びやかな、ひらかれたタイトル!
この問いに惹かれてつい手に取ってしまいました。
近ごろ自分自身も忘れそうになっていますが・・・ただいま私は大学院修士課程に籍を置いており、研究論文に取り組むべき身分。社会人院生としては、論文を書くなら大学関係者だけではなく、社会の現場ではたらく方々にも関心を寄せてもらえるような、素朴な、正直な問いを立てたいと思っています。本著者の宮野氏は私と同年代です。正直な問いと、文献に真摯に向き合い、それらから離れて自分のことばを紡いでいく感覚、そして、導かれる結論に生きることへの絶対的な希望があること、ステキだなぁ。私もそうありたい。
本書では、恋するという現象の哲学と、恋愛とは何かを問う近代の精神史、この2つの方向から、ずーっと恋愛について論じられています。ご関心のある方はぜひ最初から順を追って、自身や周囲の人々の恋愛への姿勢や経験を思い浮かべながら、一つひとつの議論を読み重ねてみていただきたいのですが(たとえば、『惜しみなく愛は奪う』有島武郎がなぜ心中死に至ったのか?も議論の対象の一つであり興味深い)、これはもう「恋愛」に止まらず、他者と自己との関係すべてに通じるふるまいそのものへの議論だと感じます。
終章から一節を引用・・・
「自己と他者は、それぞれに限りを有し、隔てられている。・・・恋する自己は、その有限性を超えようと他者を所有しようと試みたり、一体化を望んだりするだろう。だが結局、それを超えることができない。それでも、他者と一緒にいたいと望むなら、その有限性、隔てられているという事実を受け止めるしかない。そして、隔てられているという事実を受け止めたものに可能なのは、所有でも同一化でもなく、その隔てを受け取ったことを伝えることだけである。つまり、「呼びかける」ことしかできない。」
生きる他者も、他者と生きるなかで生まれてくる自己も、予想を超えて厄介でそれゆえ魅惑的な存在でしょう。他者を他者のままに慈しみ、関係を生きていく、そうありたいと願わずにはいられません。