インタープリターって何考えてるの?(vol.0)
なんと今日から11月。きゃー早い!
つい先日まで半袖だったのに、一気に夏から秋、冬へと季節は進みましたね。
10月に入りまして、件の緊急事態宣言が解除になり、長らく減っていた対面のお仕事が戻ってきました。
オンラインでできることも多いですし、オンラインだからこそ可能な企画があって、出会える人達もいるということを実感できたことは、ここ1年半の大きな気づき。
とはいえ、互いの体温や息遣いを感じられ、身体を使って周囲と関われる対面の場も、やっぱり私は大切にしたいと思っています。
この秋、新しくお受けしたお仕事の中に「小学校での出張授業」があります。
厳密には、来年度から担当させていただく予定で、今年度は私はサポートで入っているだけですけどね。
クライアントさんからの依頼は本当にさまざまで、もはや自分が何屋さんか分からなくなること多々ですが、、
フリーランスの私の場合、依頼の入り口はざっくり分けて2つあります。
1つ目は、インタープリテーションの専門家である私への依頼。
2つ目は、自然体験活動、環境教育(環境学習)、ワークショップやイベント事業ができる私への依頼。
その他は、ファシリテーター(会議や場の進行役)、コーディネーター(裏方での調整役)、プランナー(企画立案や相談役)的な諸々、ですかね。
今回の「小学校への出張事業」は、2つ目の「環境学習の場を運営してほしい」というタイプの依頼です。
はい、できますよー。
できますけどね、実は私はこの手の依頼がちょっと苦手。。
苦手な理由は、
環境学習をやって、というクライアントさんは、必ずしも「インタープリターのミワ」に依頼しているわけではないから。
そもそも、インタープリテーションという概念や分野があることをご存知でない方や、言葉を知っているだけという方がほとんど。土台にしている考え方を共有できていない関係性で、一緒に何かを運営していく、というのは、なかなかに葛藤が大きいのですよ。
自然体験活動も環境学習も、その他の体験プログラムも、インタープリテーションを知らなくても出来ます。
知らないから質が劣るということもありません。
上手に運営されている方はたくさんいらっしゃいます。
ただただ、別物、なんですよね。
目的と、大切にしているものが異なるのです。
悲しいかな、インタープリテーションは、未だにあまり知られていない。
知らない人のほうが多いから、知らない人達に囲まれる状況には慣れっこだし、どんな方とも、どんな依頼でも、柔軟に対応できる現場力は、インタープリターの特技みたいなものだけど、
それでもね、できれば、同じ考え方や価値観を共有しているチームのほうがよりよいお仕事ができるんだけどなぁ…と、ちょっぴり残念に思うのです。
今まで、いただいたお仕事をサカナに、持論を公に書く、ということはしてこなかったのだけれども(批判に聞こえると申し訳ないな…という恐れがあって)、
よーくよーく考えたら、
私は、インタープリテーションを広めたい!
インタープリターを増やしたい!
インタープリターの活躍の場を増やしたい!
それが人と自然と社会をもっと多様に魅力的につなげていく、と
ずっと思ってやってきたわけですよ。
だったら、
インタープリターの私はこう感じているんですよってことを言葉にしていく、というのは、すごく大事なことだなと。今更ながら思うわけです。
次回から何回かに分けて、
今期の出張授業のお仕事をしつつ感じる、
「一般的な環境学習とインタープリターがやるプログラムの違い」について、インタープリターのミワ目線で書き留めておこうと思います。気づきはナマモノなのでね、記録しておかないと忘れちゃうもんね。
特にオモシロオカシク書くつもりはないけど、よかったらお付き合いくださいねーん。